好きなことを好きなだけ

自分が好きなことについて好きなだけ語る。

自分に期待しすぎてしまった。

自分に期待しすぎてしまった。

何もできるはずもないのにどうして私は期待してしまうんだろう。
もっと明るく、もっと人付き合い良く、もっと賢く、生きれると思ってしまうんだろう。

って夕空を見て思った。








人より優れていたいといつも思っている、だから努力をするし、誰かから常に褒められたいし、誰かにものすごく必要とされたい。
それだって頑張れば愛されるだろう、っていう思い込みが前提にあるし、そもそも頑張ったら私なら結果を出せるだろうという自信が根底にある。きも。




自分のことは好きでも嫌いでもない、そんな感情を抱くような存在として自分を捉えてはいない、でも気持ち悪いとは思います。心底気持ち悪い。
自信過剰、己に期待しすぎるところが特に嫌いかな。
私は何もできない。何にもなれない。どこにも行けない。






それでも、自分に期待することをやめたくない、
と思う自分も確かにいるのです。
だって自分に期待することをやめてしまったらそれって死んだも同然じゃないですか。
私は生きたい。活力フル稼働、バイタリティに溢れて魂燃やしながら精神をスライスしながら全力で生き急ぎたい。
だから一生、期待しちゃう自分を気持ち悪いなぁと思ったまま、生きるしかないのだ。なんだかなーって感じだけど。

幸せって水みたいだと思ったことがあったんです

いつもそばにあって、
みんな何らかの形で毎日飲んだり出したりしていて、
飲みすぎても飲まなさすぎても体に良くないもの。
でも生きていくのに必要不可欠なもの。

だから誰かが水を飲む動作が美しいと思ったんですけどね





海を見ると心が動かされるのは、
ずっと水が私たちの帰る場所だからだと思っていたんです
私たちは水から生まれて陸に上がってきたから、無意識の部分が郷愁を感じるのかなって、思ってたんです
でも少し違うのかな って。
水は幸せに近いからなんじゃないかって、気づきました
私たちの心の中にはいつも満たされない、渇いた部分がある、どんなに幸せなことがあっても、その部分は一時的にしか埋まらない、そんな場所。
水を見ると、特に海みたいな、あんなにたくさんの水を見ると、私たちは、生まれ持ったその渇きを満たしてくれるんじゃないかと思うのではないかな。だから海に引き寄せられるのではないかな。

 


さユりはその渇きを
「ゼロじゃなく空白を持って生まれたんだと」
って表現してて、それもすごく好き。




だから私は海が好き。